南関東競馬以外でも全国的に地方競馬が広まっています。でも、実はそのほとんどが、存続すら危険視されていて、経営が悪化して実は耐え切れないところばかりなのです。 言わなくてもわかることですが、理由は利用者が来ないからなのです。これはかなり大変な問題となっています。 でもそれぞれの競馬場がそれぞれ工夫を凝らして、何とか経営を維持しようと必死で頑張っています。古いところになるとハルウララがあります。負け続けていたハルウララを逆に宣伝に使ったと言うのはとてもすごい発送でした。負け続けているハルウララに武豊騎手が乗りましたから、かなり話題になり、高知競馬の企画のすばらしさの現れでしょう。 今の連敗記録を守っているのは、園田競馬のカンムリホルダーです。冠を持っているという名前がついているにもかかわらず負け続けています。園田競馬と言えば、小牧騎手や岩田騎手の出身地でもあります。小回りコースの比較的小規模な競馬場なのですが、ここで、揉まれて刺激を受けたからこそ、両名の騎手が育って、追える騎手になったのです。地方競馬はその競馬場に行かないと馬券が購入できないと思っている人もいるかもしれませんが、実はインターネットの競馬システムも導入しているので家にいても馬券を買うことが出来ます。園田競馬や荒尾競馬といった地方競馬はパソコンを使って予想を見ることもできるし、そのままの流れで馬券の購入も可能なのです。
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小倉競馬場は中央競馬において最も南に位置する競馬場です。毎年2月から3月にかけての冬開催と、7月から9月にかけて行われる夏開催が行われています。名物の競走は、冬に行われる中距離のハンディキャップ競走である小倉大賞典と、夏に行われる中距離のハンディキャップ競争である小倉記念です。この他にも夏には短距離のハンディキャップ競走である北九州記念や、2歳重賞として早い時期にクラシック候補を輩出する小倉2歳ステークス。 更に夏の障害重賞である小倉ジャンプステークスが行われています。また特色として九州産馬による限定レースも行われており、テイエムやコウエイ、更にカシノといった冠を持った馬たちによるレースを楽しむことが出来ます。 小倉競馬場は、年に冬と夏の2回開催が行われることと、その立地の有意さから全国から多くの競馬ファンが訪れる競馬場でもあります。また2回の開催では、集まる騎手のレベルにも差が出ることが有名です。冬の開催は裏開催であることから、一流クラスの騎手は少ないのですが、夏は北海道にいかない関西の一流騎手が小倉に集合します。このため、冬は裏開催ならではの雰囲気を楽しめますし、夏は一流騎手同士のぶつかりを見ることができます。 2010年から開始された中京競馬場の改修工事のため、代替開催が小倉競馬で行われることが決まっており、年末最後のレースとしてコアなファンには有名な「尾張ステークス」が小倉競馬場で行われるのも楽しみなポイントです。
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牝馬限定の若駒女王決定戦として行われている阪神ジュベナイルフィリーズですが、近年は名牝への登竜門として認知されています。ウオッカ、ブエナビスタ、アパパネなどの活躍をみれば、それも素直に納得がいくことです。しかし一方で、このレースを人気薄で勝利した馬は、その後大成しないというジンクスがあるのをご存知でしょうか。思い出せない方は、次から列記する馬をみて下さい。スエヒロジョウオー、アインブライド、タムロチェリー、ショウナンパントル。いずれも人気薄でこのレースを勝利した馬ですが、いずれもその後1勝も出来ずに引退しています。 8番人気で2005年の阪神ジュベナイルフィリーズを制したテイエムプリキュアも、このジンクスに当てはまった馬と見られていました。2006年から2008年まで走り続けますが、二桁着順も多く誰もがここまま・・・と思っていました。実際に前年で3着に好走した2009年の日経新春杯で引退が発表されていたのです。 しかし49キロという軽量を生かしたテイエムプリキュアは、思い切った逃げを打ち2着以下に3馬身もの差を付けて快勝してしまうのです。考えて見れば直前の秋にもアルゼンチン共和国杯で4着に好走しており、長距離での適性の高さを覗かせていたのです。日経新春杯の勝利は、鞍上の荻野騎手にとっても初重賞制覇となり嬉しい勝利となりました。 その後、テイエムプリキュアは再び惨敗を続け人気を落としますが、ブエナビスタで鉄板と呼ばれた2009年のエリザベス女王杯をクィーンスプマンテとともに大逃げをうち2着に残り大波乱を生み出しました。その後テイエムプリキュアは引退してしまいますが、見事にジンクスを打ち破った馬だったのです。
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1995年、第47回の阪神3歳牝馬ステークスを制したのが、のちに名牝ブエナビスタの母となるビワハイジです。このレースはビワハイジにとって4ヶ月の休養明け初戦。しかも鞍上が武豊騎手から角田晃一騎手への乗り替わりというハンデを背負ったものでしたが、それが功を奏したのか、当時から素質馬として評判となっており後に女帝と呼ばれたエアグルーヴらを尻目に堂々の逃げ切り勝ちを収めました。 クラシック戦線では桜花賞が体調不良から惨敗。オークスに向かうと思われた2冠目は果敢にもダービー挑戦を行いますが、勝ったフサイチコンコルドから2秒近く遅れ、見せ場無く再び惨敗します。その後も順調さを欠き、長く勝利に見放されますが、6歳時鞍上にペリエ騎手を迎えて京都牝馬特別を勝利するのです。しかし、その後再び故障が発生し引退となりました。 3歳時から翌年の桜花賞発走前までライバルと言われたエアグルーヴと比較すると、その競走成績は物足りないものがありますが、繁殖牝馬としてはエアグルーヴと互角に渡り合う立派な成績を残しています。3番目の仔であるアドマイヤジャパンが京成杯を制し、4番目の仔であるアドマイヤオーラが重賞を3勝。そして2008年にブエナビスタがデビューするのです。 伝説の新馬戦と呼ばれた2008年10月26日のデビュー戦で惜しくも3着に敗れたブエナビスタでしたが、未勝利戦を勝ち上がり阪神ジュベナイルフィリーズに駒をすすめます。このレースの出走を抽選でクリアしたブエナビスタは、見事に人気に答え勝利し母子2代制覇を達成するとともに、エアグルーヴとの繁殖成績争いがますます面白くなるのです。
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1991年、3歳(現表記では2歳)最強牝馬を決めるレースとして生まれ変わった阪神3歳牝馬ステークスを制したのがニシノフラワーです。ニシノフラワーはの馬主は、ニシノやセイウンの冠で知られており生産牧場でもある西山牧場。ニシノフラワーの勝利は、西山牧場へ初のGⅠ制覇を届けるとともに、鞍上の佐藤正雄騎手にもGⅠ初勝利をもたらすことになりました。 このレースでは後にマイルチャンピオンシップを制し名牝と呼ばれたシンコウラブリイや、過酷なローテーションで有名になったサンエイサンキューが出走していましたが、ニシノフラワーは直線で抜けだして快勝しています。 翌年の桜花賞では、前走で足を余して負けたため乗り替わることとなった河内洋騎手を背に、3馬身半差の圧勝を飾ります。しかしオークスでは馬体の維持が出来ずに7着に敗退。エリザベス女王杯でも3着と敗れてしまいます。この原因が距離にあるとみた陣営は、当時年末に行われていたスプリンターズステークスへニシノフラワー出走させます。 初の古馬との対戦となったニシノフラワーでしたが、見事にヤマニンゼファーを差し切って勝利を収めます。この勝利で最優秀4歳牝馬・最優秀スプリンターの2つの部門を牝馬ながら制する快挙を成し遂げるのです。古馬になってからのニシノフラワーは、マイラーズカップでヤマニンゼファーを退けるも本番の安田記念ではヤマニンゼファーに完敗。その後も調子の低迷が続き、暮れのスプリンターズステークスでの3着を最後に引退することになりました。
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1991年に牝馬限定戦となった阪神ジュベナイルフィリーズ(当時は阪神3歳牝馬ステークス)ですが、翌年に行われる3歳牝馬クラシック戦線に直結するレースとして非常に重要視されるレースであります。 これは、阪神ジュベナイルフィリーズの施行条件が、翌年のクラシック第1弾である桜花賞と全く同一の条件であることが大きな要因となっています。ここでの好走はそのまま桜花賞に繋がることが多く、そのことを関係者も競馬ファンも知っているために、阪神ジュベナイルフィリーズに多くの耳目が集まるのです。 阪神ジュベナイルフィリーズに勝つためには能力だけでなく、3歳にもならない早い時期での完成度が求められます。過去の優勝馬を振り返ってみると、ヒシアマゾン、メジロドーベル、テイエムオーシャン、ウオッカ、トールポピー、ブエナビスタなどが、この時期でも見事な走りをみせ無難にこのレースを制しており、また翌年のクラシックでも活躍しています。また2着以降の馬でも、ラインクラフト・エアグルーヴ・スイープトウショウなどを輩出しており、牝馬の場合はこの時期から一定の完成度をみせ、このレースで活躍することが一流牝馬に繋がっていくための条件と言えるのかもしれません。 全体に過去の出走馬やその後の活躍を見渡してみると、牡馬と違って完成の速い牝馬の特徴が現れるレースです。本来の2歳牝馬の女王を決定するという役割もそうですが、マイル適正の有無を確かめるという意味でも、十分な役割果たしているのが阪神ジュベナイルフィリーズといえるでしょう。
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阪神ジュベナイルフィリーズは、2歳牝馬女王の決定戦として阪神競馬場で行われる芝1600mのGⅠ競争です。その前身は1949年に関西の3歳馬(現表記2歳馬)の王者を決めるために創設された阪神3歳ステークスです。その後1991年になると大井で開催されていた東京3歳優駿牝馬を参考に、牡馬と牝馬のチャンピオンを明確に分離して決めるという趣旨のもと、阪神3歳ステークスは阪神3歳牝馬ステークスと名称を変え、2001年には馬齢表記を国際基準へ変更(3歳→2歳)し、同時に現在の阪神ジュベナイルフィリーズという名称へ改称されるのです。 創設から長きに渡り関西の3歳(現表記2歳)チャンピオンを決める戦いだった阪神3歳ステークス時代には、ミスオンワード、コダマ、エイトクラウン、マーチス、キタノカチドキ、テンポイントなどの名馬を生み出しました。JRA賞が創設されてからの37年では18頭の最優秀3歳牡馬または最優秀3歳牝馬を輩出しており、このレースの価値と威厳が窺い知れます。しかし1980年代にGⅠに昇格後、牝馬限定戦へ変わる1991年までの7年間は、のちにGⅠを勝った馬がサッカボーイのみという低迷期を迎えたこともあったのです。 しかし1991年に牝馬限定戦へと施行条件が変更されて以降は、数多くの名馬を送り出しています。特に近年は、ウオッカやブエナビスタ、アパパネなど。古くもニシノフラワーやヒシアマゾンにメジロドーベルなどの名馬を送り出しています。また繁殖にあがってから、その子達が活躍する姿を観ることも多く、そのような楽しみがこのレースにはあるのです。
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1995年に行われた第12回マイルチャンピオンシップを制したトロットサンダーは、皐月賞馬ダイナコスモスを父に持ち浦和競馬から中央にやってきた移籍馬です。浦和競馬で9戦8勝の成績を挙げて中央入りしたトロットサンダーですが、中央入りしてから重賞路線では善戦止まり。更にデビュー前にも、また浦和競馬時代にも大怪我を負ったことや、地味な血統から人気にはならない馬でした。 また一方で当時のマイルチャンピオンシップは、創設からこの前年まで常に1番人気馬が100%連対しており、1番人気馬からの馬券を流すだけで取れる、最も予想の簡単なGⅠというのが競馬ファンの認識でした。 そんなマイルチャンピオンシップに出走してきたトロットサンダーは、1600mでは無敗という実績が買われ4番人気となります。レースでは出遅れたものの、直線で鋭く伸び後続に0.2秒の差を付けて快勝します。この時、2着には16番人気だったメイショウテゾロが入ったことで、創設以来続いてきた1番人気馬の連対が崩れるとともに、一気に馬連10万馬券が飛び出す形となりました。 トロットサンダーは、マイルチャンピオンシップを制したあとも現役を続行し、翌年の東京新聞杯や安田記念を勝ち、マイルの鬼と呼ばれます。特に安田記念ではタイキブリザードやヒシアケボノとの接戦を制してマイル無敗を続けることになります。しかしトロットサンダーは、秋になり骨膜炎を発症したことと、馬主の名義貸し事件が発生したことから予定されていた引退へ向けた花道を飾ること無く無念の引退となったのです。
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安田記念と比較して実力馬がその実力を遺憾なく発揮しやすい舞台であるマイルチャンピオンシップでは、過去5頭の馬が連覇という偉業を成し遂げています。その5頭とは、ニホンピロウイナー、ダイタクヘリオス、タイキシャトル、デュランダル、ダイワメジャーです。いずれの馬もまさに一時代を築いたマイル王です。 この5頭は、安定した成績を残した名馬がほとんどですが、1頭ダイタクヘリオスだけはムラ駆けが激しく、人によっては名馬というよりもクセ馬という印象が強いかもしれません。実際、生涯成績をみると1番人気で敗れ人気が落ちると勝つというパターンを繰り返しており、1番人気での勝利は3歳時の1度のみにとどまっています。しかしそんなクセ馬であるダイタクヘリオスは、岸磁彦騎手によってマイルチャンピオンシップという大舞台を連覇することになったのです。 岸磁彦騎手は、メジロマックイーンで菊花賞を制した内田浩一騎手や、リンデンリリーでエリザベス女王杯を制した岡潤一郎騎手の同期であり、デビュー後は順調に勝ち星を重ねていき将来を嘱望された騎手でした。しかし岡潤一郎騎手の悲しい落馬死亡事故が発生します。岸滋彦騎手は死亡した岡潤一郎騎手と並び、その騎乗技術から武豊騎手を超えるかもしれないと言われた逸材でしたが、この事件が変化点になったのでしょう・・・ダイタクヘリオスで4勝目のGⅠ制覇を成し遂げた直後の、この事故以降岸滋彦騎手はGⅠという舞台で活躍をすることは無く、GⅠ通算4勝で引退となってしまいました。
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マイルチャンピオンシップは、秋の京都競馬場で行われるマイル王決定戦です。春のマイル王決定戦である安田記念に対して、秋のマイル王を決めるのがこのレース。毎年短距離路線で活躍する有力馬が集い、華やかなレースになるのが特徴です。 マイルチャンピオンシップは1984年にグレード制が導入された際に、短距離路線の番組体型の整備が行われ、その一環として創設されたレースです。グレード制導入以前は、短距離馬が活躍できる場は少なかったことが背景にあるようです。 マイルチャンピオンシップの特徴と言えば、比較的荒れることの少ないレースであることが知られています。京都競馬場の外回り1600mはコースロスや展開の有利不利が比較的少なく、また安田記念ほど厳しい流れにもならないことから、創設から11年間は1番人気の連対率は100%を維持していました。しかしその後は馬連10万馬券が飛び出したり、13番人気の馬が勝つなど、やや荒れる傾向が出てきています。 また連覇を達成する馬が多いのもマイルチャンピオンシップの特徴と言えるでしょう。安田記念の連覇は過去に3頭だけですが、マイルチャンピオンシップでは安田記念と比較して短い歴史の中で5頭の馬が連覇を達成しています。これは紛れが少なく強い馬が実力を発揮し易いことを示していると思われます。更に牝馬の活躍が目立つことと、関西のレースのわりに関東馬の検討が目立つのも特徴です。
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